大人の階段登る〜
『想い出がいっぱい』で一世を風靡した元H2Oの中沢堅司さん。
残念ながらその後、ヒット曲に恵まれずH2Oは解散してしまいます。
解散後、ソロでの活動をされますが、しばらくは『想い出がいっぱい』を歌うことを封印されていたそうです。
自分のやりたい音楽との狭間での葛藤だったそうで、しかし、求められるのは『想い出がいっぱい』・・・
そんな時に、中学校の校舎から聴こえてくる『想い出がいっぱい』にちっぽけな自分を感じられたそうです。
今では『想い出がいっぱい』を大切に歌われていて、また、そこでの出会いをとても大切にされている様です。
そんな、中沢堅司さんのデビューから調べてみました
- デビュー前
- H2O時代
- その後
デビュー前
長野県上田市出身
高校で『スプリング・ブリーズ』というバンド結成
大学進学で上京を機にバンド解散
大学在学中に中学時代の同級生、赤塩正樹と2人での活動を決意
グループ名はイエロー・ウイングスという名前も候補に挙がっていたが、H2Oに決定。
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H2O時代
1980年6月、薬師丸ひろ子主演映画『翔んだカップル』の挿入歌『ローレライ』でデビュー
TV版『翔んだカップル』の主題歌『僕等のダイアリー』がヒット
1983年3月、アニメ『みゆき』のエンディング曲『想い出がいっぱい』が大ヒット
1985年、解散
その後
1987年ソロファーストアルバム『Kenji Nakazawa With Fiction Band』発売
1999年再結成し、上田市制80周年のイメージソング『ここにおいでよ』発売
2003年にセルフカバーによる『想い出がいっぱい〜the21st century~』を発売したが、H2Oとしての表立った活動は凍結。
2010年オリジナルアルバム『Happy Way』発売
2012年に中沢けんじに改名
2015年デビュー35周年記念アルバム『35』発売
2017年になかざわけんじに改名
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まとめ
現在は、2004年に熊本県菊池郡に移住し、熊本を拠点に全国でライブ活動をされています。
ラジオのレギュラー番組、RKKラジオで『なかざわけんじとすみママの想い出がいっぱい』に出演されています。
2012年に中沢けんじ、還暦を迎えられた2017年にはなかざわけんじに改名されています。
中沢けんじからなかざわけんじに改名されて、サインを書く時に、今までの癖でなかざわを漢字で書きかけてしまうということもありました。
改名された理由はお聞きしなかったのですが、『日本一にはなったから次の目標は世界一を目指す』や『80歳まで現役で』と言われたりして、まだまだ勢力的に活動を続けられ、大人の階段を昇り続けられそうですね。
実際にライブをお聴きしましたが、ライブ中はずっと立った状態で歌われていて、キーも当時と同じだそうで、とても還暦を迎えられた感じには見えなかったです。
そんな、なかざわけんじさんが気になる方はオフィシャルサイトで検索されるとライブイベント情報やCDなども販売されてるのでチェックされてみてはいかがでしょう。
ピアノは唄う なかざわけんじピアノコレクションは、北九州を拠点に活動されている上村貴子さんがピアノを弾かれています。とても素敵なアレンジになってます。
コメント
最近の『想い出がいっぱい』を聴きました。
https://youtu.be/PoFpHW69oZM
https://youtu.be/VmIx4_p1bIM
年をとると声が変わってしまったり、高音が出なくなったりする歌手もいる中で、なかざわさんはあまりお変わりないので安心しました。
この曲は、汚い声では歌ってほしくありませんからね。